後1年半で65歳となります。
社長に65歳での定年退職を願い出ました。
その後は嘱託として残るのか、田舎に引っ込んで好きな物を作って暮らすか決めていませんが
なぜ、定年としたのか
若い社員を成長させたいのです。
なかなか成長しない若手に、いつまでも居ないのだから学ぶべきは学べ、
期限を切ってその間に教えるべきことを最大限教えたいと思うからです。
今は月2回ミーティングと称して30分勉強の時間を設けてノギス等の検査機器の使い方、種類や
工具の使い方、材質に対しての違い、キャドでの図面の書き方等の基本を教えています。
基本の後は自分から求めなければ教える必要は無いと思っています。
自分に必要なスキルだと思えば真剣に聞いてくるでしょう、学校ではないので押し付けるつもりはありません。
今まで、半世紀に渡って物つくりに取り組んできて、さまざまな事がありました。
15歳で上京して住み込みで修行して、それを継承するのではなく新しいことに挑戦し続けた。
ヤスリ1本で製品を作っていたのをグラインダーやバフ研磨に変えたり、コンピューター搭載の機械が出れば
仕事のあてもないのに面白いからと購入して事業に失敗したり
めだかの水槽と称して卓上の金魚鉢を造って電池のポンプを付けてみたり
傘の滴取りを大掛かりに作ってみたり、
頼まれれば電機だろうと皮だろうと何でも必死になって学び、物を作っていた。
これからはコンピューターの時代だと感じれば、30年以上前にポケコンを買ってベーシックで三角関数や重量計算などのプログラムを作ったり、すべて独学で面白いと感じてものつくりをしてきた。
打ち合わせをして、図面を作成してアイデアを盛り込んで独自の商品を多く提供してきました。
失敗も多々ありました、ディレクターカメラを製作して欲しいとの依頼には小さすぎて途中で断念をしたり
背中を洗える装置をとの依頼にも機構は出来ましたが商品化しても売れませんよと機構を渡してお断りしたり
依頼を受けて、ステッキと椅子を結合させて製品を製作したが試作を製作しただけで終わったり
さすまたの携帯版を製作したが、ジョイントがうまくいかずに断念したり
警棒に催涙ガスを仕込んだものを考えてみたら犯罪に使われるのがいやだと100本だけ製作してやめたり
これからはインターネットの時代だとホームページを作成したり、ネットショップを開いてネジを売ってみたり
15年以上前に立ち上げたら町工場が何をしているの、売れるわけ無い素人が作ったホームページを見てくれるわけが無いと笑われもしました。
今でも3Dプリンターを勉強したり、電子工作に挑戦してみたり、シェア工房に通ってレーザー加工やUV印刷を学んだりしている。
なんでも面白いからと首を突っ込む爺です。
雑学に近いのかもしれないがそうした知識を1つでも若手に残してやりたいと想うこの頃です。
残りの人生を自分が面白いと思うもの、作りたいものを時間の制限無く心ゆくまで作りたいと思っています。
今まで私に製作を依頼していただいたお客様にも、私がやめた後の事を思い、
他で出来る物は当社の協力工場に託せばいいのですが、託せ無いものもたくさんあります。
そのためお客様へは託せる工場を探して欲しいのです。